2018-07

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動くか動かないか

新しい一歩を踏み出すのは怖かったり億劫なものです。
仕事を変える、新しい勉強を始める、人との付き合い方を変える。

「今のままでいいや」

というのも、ありです。
ただ、自分が今のままでいいやと思っていても、世界や周りの人は動き続けています。
自分が動かなくても、いつの間にか社会や環境がガラリと変わってしまったりしてしまうのです。

だったら、どうせ「今のまま」なんて幻想なんだから、自分が好きなことややりたいことをしてみるのもいいのではないでしょうか。
動いたらとんでもなくドキドキする経験をするかもしれません、でも世界が自分の外でグリグリ動いているなら、動かなくても予想外のことはいっぱい起こります。
どっちがいいかなんて、安心かは自分の気持ち次第です。

「動く」というのは選択の一つですが、「動かない、何もしない」というのも自分が下した選択です。
今日も明日も、悔いないようにがんばっていきましょう。

お付き合い有難うございました。

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日々の心がけと、とっさの反応

何か、トラブルや嫌なことがあった時にそれに対して反射的に反応してしまうことが多いです。

ただ、後から冷静に考えたら、言うほど大したことではなかった、なんでこんな大騒ぎしたのかなと
思えてくることもよくあります。

これは、「起こった事実」と「それを受けた自分の感情、反応」を丸ごと事実として受け止めてしまっているからです。

例えば、
「約束していた予定を友達がドタキャンしてしまった。 こちらは準備していたのに最悪だ」
といったことがあったとします。
なんとなくこれと似たような経験はされた方ある多いと思いますが、事実は
「友人がドタキャンした」
「自分はそれに向けて準備していた」
であって、
「最悪だ」
はそれを受けた自分の反応ですよね。

人によっては
「相手も何か事情があったのかな。仕方ないな」
と思っておしまいにしてしまう人もいますし、上級者だと
「予定なくなってしまったけど、この準備してきたことを活かして何か面白いことできないかな」
「空いた時間で自分のしたいことをしてしまおう」
と前向きにとらえてしまえる人もいます。

そんなこと、普段マイナスに考えてしまうような自分ができるのか?

私も修行中の身ですが、大きなトラブルがあった時に自然とそのように事実と感情を切り分けられるようになるには、何気ない普通の日常からそういうように考えるクセ付けが必要だと考えています。

「あのケーキ美味しそう」
と思ったら、
事実:ショートケーキが目の前にある
感情:私はそれを美味しそうと感じている。

みたいに、ゲーム感覚で続けていけば少しずつできるのではないかと思っています。
何気ない日々の心がけが大事なのではないでしょうか。

最後までお付き合い、ありがとうございます。




一歩踏み出す

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ブログ移設

前回の更新から大変ご無沙汰していました。

今後の記事更新等は以下のURL先となりました。
今後ともよろしくお願いいたします。
http://xn--1lqy4i90xvwkt27a.com/blog/blog/

自分の定義づけ

自分の大恩人でメンターだった方が、統計学を詳しくなるにはまず数学の基礎、そして数学史をしっかり学べと言われたことがあります。
 なぜなら、数式の意味を本当に理解するためには、それに取り組んだ人の想いや努力を知らないと、その価値や数学という学問の中での位置づけがわからないからです。
 自分はまだまだ勉強中で、とてもではないですが理解したとは言えませんし、長い道のりです。

 本題に入りますが、学問でさえ(言い方に語弊があるかもしれません)本当に理解するためには歴史や根本にまで踏み込まないといけない。 
 自分を知るとは本来はもっと難しいのではないでしょうか。

 自分らしく生きると安易に言われていますが、そのためには、自分とは何か、と本当は深く深く踏み込まないといけない。

自分とは何か。家族構成や学歴、職業、国籍、性別がよく使われます。 でもこういうのは、全部他の人がいる社会だからこそ成り立つもので、もし職業は転職すれば変わるし、国籍だって宇宙人が出てきたら、僕たちは日本人じゃなくて地球人となるでしょう。
 結局、自分以外の他者がいることによって定義されるものばかり。

 瞑想によって真我がわかるという本もありますが、これだって本当に相対的な自分から抜け出しているかというと疑問です。
「これが真我だ」と決めている自分は誰なのでしょうか。うまく言えませんが、自分の中の自分という相対的存在が決めているのではないでしょうか。

 結局、どこまで言ってもこの世という世界軸に生きる僕たちは、相対的存在からは抜けられないと個人的に考えています。
 
 ただ、これは悪いことではなく、むしろ相対的自分という霧のようなもやもやしている自分だからこそ、自分がありたいように、好きなように自分自身を定義してしまえばいいのです。
 
「あんたが俺のことをマヌケだと思っていようが、そんなの関係ないね。 これは、どっしりとしていて落ち着いていると言うんだ」といった感じでしょうか。
 これにも、色々とコツがあるようですし、自分を押し通すあまり、他の方の迷惑を顧みずとなってしまってはいけない。
このバランスをどのように取っていけばいいのでしょうか。 
 
 長くなるので、今日はここまで。
 このことは、これからももっと考えていきたいです。
 ありがとうございました。
 

テーマ:モノの見方、考え方。 - ジャンル:心と身体

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    アルケミスタ

    Author:アルケミスタ
    商学部卒業後や医療系の大学院、アメリカのバイオベンチャー企業等々を経て、今は会社の運営をサポートを主にしています。
    事業は医療から美容まで関わっているので、会社の目標は「より健やかで美しい世界の実現の主役となる」と考えています。

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