2009-01

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勝手に映画解釈 「最高の人生の見つけ方」

「最高の人生の見つけ方」という映画をDVDにて観ました。
これは素晴らしい映画です!

以下、僕の勝手な解釈をつらつらと。
(ネタばれなのでご注意ください。ただ、ネタがばれたからといって感動が薄れる映画ではまったくありません)


この映画は、余命6か月を宣告された、大金持ち実業家のエドワード・コール(ジャック・ニコルソン)とまじめ一徹な自動車整備工のカーター・チェンバース(モーガン・フリーマン)の2人が、棺桶リスト(死ぬまでに達成したいことリスト)を作成し、達成のために世界を駆けまわるという内容です。

エドワードとカーターは、そのエドワードの資本力を持ってして、リストにあることを次々に一緒になって楽しく達成していきます。

そして、それぞれの人生で最後に達成されたリストの項目は。。。


まず、カーターにとってそれは
「心の底から一生分笑う」 
でした。
一見、一番簡単。お金がなくても、誰でもできるはず、と思います。
しかし贅をこらしてたくさんの経験をしたけれど、彼は実は心の底からは笑えなかったのだと思う。
ところが、
愛する妻や子どもたち家族との愛の再確認によって死に向かう現状をすべて受け入れた彼は、
その時初めて心の底から笑えたのだと思う。

次にエドワード。
彼にとって最後に達成したことは
「見知らぬ人に親切にする」
これまで生き馬の目を抜くような世界で生きてき、人を親切にしたことはない、というよりすることすら考えたことなかった。
彼は余生を最高の人生にするための行動自体が、見知らぬ人(カーターのこと。彼らは病院で初めて知り合った)への親切にもつながっていたことに、最後になって気づいた。
本当の素晴らしい人生とは、単なるお金と権力ではなく、
見知らぬ他人とまで喜びと幸せを分かち合えるものなのだ。
こういうことを意味していたのではないかな。

最後に、エドワードの秘書がヒマラヤの山頂あたりに2人の遺灰を埋葬します。
なぜなら、最後にリストに残ったもの
「荘厳な景色を見る」
を彼らのために達成するためです。
これは、残された者も亡くなった者のためにできることがある。それは供養であり、荘厳な景色を守っていくこと。つまり、彼らのリストを完遂させるためには、美しい地球を守っていく必要があるのであり、それは残された者の役割である。

ということを意味していると勝手に解釈しました。考えすぎかもしれません。

ここで、最後にKOKIA「安心の中」という歌をチョロっと紹介して終わります。
なぜって、歌詩が少し今回の話と近い(+KOKIAを紹介したいから笑)

歌詞の最後の一部を抜粋します。

~一分一秒大事に噛み締めて 生きてゆく事はできないのでしょうか 
安心の中で失ったものを 取り戻したいのです

ねぇ ねぇ ねぇ・・・

生きている痛み

ねぇ 次の瞬間に全てが終わるなら 愛する人の顔を浮かべて
どんな風に笑って どんな風に泣いたか 思い出す人でしょう

安心の中に居る人 眠りにつく前に ベッドの上
愛する人の顔を浮かべて 気づいてほしい 当り前の幸せに・・・~



'08 The 10th anniversary concert.

ありがとうございます。

今日紹介したKOKIAさんの曲は↓に入っています。






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1月も後半になって

1月は、高校のクラスや弓道部の同窓会などが盛りだくさんでした。

考えてみたら、僕がいま25歳なので、卒業して既に7年ほど経っています。

既にバリバリ仕事をしている人も多いですし、
結婚している、または予定の方もかなり増えてきました。

いまだ学生をしていて、しかも進路もふらふらしている我が身を振り返ると、
ちょっと焦りを。。。
ここが堪えどころかもしれません。

それにしても、ほとんどの皆が高校の時に考えていた進路とは大きく違う方向に行っているのは、それを聞く自分にとっても面白い。

大学卒業後に料理学校に入りなおしていたり、フラフラしていた人が真面目なサラリーマンでがんばっていたりetc

そういえば、僕も10年前(15歳ぐらい)の時は、建築設計師になる気満々でした。
それがいまや、
→「医療マネジメント(病院経営とか)の大学院に在籍し、今年からIT関連企業(医療と関係なし)にお世話になるかもしれないからプログラミング言語を一から独習中。ついでに、春休みを利用してヨガのインストラクター講習を受講予定。」

と、あらぬ方向に突っ走ってます。

でも、自分が絶対に正しいと思っていた道が本当に最もいい道かどうかはわからないし、
もしかしたら、天から見たらもっとお勧めのいい道があるのかもしれません。

なので、
「目の前のことを一生懸命やりつつ、面白そうなことが自分のもとにやってきた時には、天の配剤と考えて取り組む」
と考えて生活することが大事なのかな~、とここ数日思いました。


とにかく、自分や自分の周りの全ての人々が
どんな時にでも

「今あなたは幸せですか?」
と聞かれたときに、
「幸せです」
と即答できる生き方ができればとても素晴らしいな。

ありがとうございます。


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代弁者としての役割

戦国時代末期から江戸初期のお坊さんで鈴木正三という方がいて、こういったそうです。

以下、童門冬二さんの「銭屋五兵衛とその冒険者たち」(集英社文庫)より引用

~ホトケが高いところからご覧になっていれば、こんな狭い日本の国の中でも、
地理地形によっては、できる品物とできない品物がある。
しかし、人が話を聞いて、どこどこでそういう品物ができると聞けば、
やはりその品物をほしがるのが人情だ。
 ところが、自分のすぐ近くではそれができない。
しかし、できなくてもほしい。そういう時に、できる土地からその品物を持って、
できない土地の人々に届けてあげるのが商人だ。
こういう商人の行為は、ホトケの代行者なのだ。~


士農工商で商人の身分が最も下に位置づけられていた時代です。

武士が一番上なのは武家政権なので言わずもがなですが、なぜ農工より商人は下に位置づけられたのでしょうか。
それは、農工に属する人々は農作物や商品を作り出しているのに対し、商人は農工の人々が作ったものを右から左に流すだけで利益を出しているだけである、と考えられていたからというのが大きな理由です。
そのため、明治時代に入るまでも多くの武士は商人の仕事を蔑んでいたそうです。
(さらに言うと、農民や工人は仕事きついのに貧しいことが多く、そのフラストレーションをためさせないために、さらに下の身分を設けた、という意図もあったそうです。)

そういった時代だからこそ、鈴木正三がこのように考えたことはとても意義があると思います。
なぜなら、蔑まれるほどの仕事でも発想を変えてみることによって、何かしら素晴らしい意味や価値を見いだせる、ということを意味していると思うからです。

自分のしていることに意義を見いだせない、と言ってしまうのは単なる自己卑下に安住しているだけなのかもしれません。
たとえ、その時に本当にどういった意義があるのかわからなくても、継続していくことによって、意義自体が後からついてくることもあると思います(僕が思うだけでなく、過去にblog「修破離」で取り上げたapple社の創設者であるスティーブ・ジョブズも同じことも言っておられます)。

一番大切なのは、自分のしていることにもっと自信を持つことです(自戒の念も込めて笑)。
自分のしていることを信じられない人間を、他の誰かが理解してくれると考えるのは虫が良すぎます。
常に「自分の最大の理解者は自分」であるべきです。



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背の低い巨人の肩

今、東京から実家に戻ってきています。
修士論文を提出したため、今のところ東京では何もすることはなく、毎日実家でゴロゴロ。
仕事先で必要とされるであろう、プログラミング言語の勉強などをのんびりしています。

 さて、僕の部屋に、
「繰り返しが知恵を磨く」
とプリントされた紙が、窓わくに張り付けられているのを見つけました。
そういえば、大学受験の時に張ってた。

今思うとなかなか深い言葉だなと。

繰り返す・・・何を?
それは、これまで先人によって解決済みで既に答えがわかっている問題を。

ということは、知恵とはこれまで多くの人が辿ってきた思考の過程(知識)を自分の血肉とすることかな。
それを踏まえて、初めて自分の知恵が育まれる?
「守・破・離」。
そういえば、昔自分でもそんなこと書いてた(守破離)。
Google Scholarという論文検索サイト(お世話になりました)には、
「巨人の肩の上に立つ」
というフレーズが書いてあります。
これも、きっと同じことを意味してるのだと思う。

現在、科学でも哲学でもなんでもわからないことや解決できていないことはたっっっくさんある。
「巨人」がまだまだちっちゃい(笑)

そのことを自覚しないと、せっかくの学問も独りよがりなものになってしまう。
竹内薫さんもその著書「シュレディンガーの哲学する猫」(中公文庫)で

~すでにわかった部分にだけ注目して、
「ほら、私はこんなにたくさん知っている」
あるいは「私にはほとんどのことがわかっている」
などと云うのは、思い上がりもはなはだしく、恥ずべき発言としか云いようがない。~


と、なんかテレビタレントみたいな某物理学者に聞かせてあげたいことを書いている(笑)。

高血圧の原因となる酵素レニンの遺伝子解読に成功した、著名な研究者である筑波大学名誉教授の村上和雄さんは「人は何のために「祈る」のか 生命の遺伝子はその声を聴いている」(祥伝社)にて

~いったい誰が、こんな微小なテープ(ゲノム)の上に32億もの情報を書き込んだんだろうか。
これは、生命の材料を作る指示を出すきわめて整然たる情報なのであって、偶然の結果書き込まれたとは、到底考えられない。
人間を超える巨(おお)いなる存在がなければ、遺伝子情報そのものが存在するはずがない、と考えたほうが、それこそ自然である~


と書いています。

個人的には、巨いなる存在ているんじゃない、と信じてます。
 
 ただ、信じる信じないに関わらず、
「実は全然わからないよね。俺って全然知らないわ。」
という事実をきっちり認め、
自分の乏しい知識で導き出した安易な結論に安住せず、

 「あるかもしれない~、ないかもしれない~。えへ」

という不安定な姿勢を平気な顔をして保ち、かつ好奇心を持って常に探究し続ける。
というちょっとしたウルトラCがとても大切と思う。

長々とお付き合いありがとうございます。
気晴らしに「サラリーマン体操」でもご覧ください。たまたまYouTubeで見つけました。
NHKもここまで柔軟になったか、とある意味衝撃的でした(笑)。






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どこに続くのだろうね

修士論文を提出し終え、ようやく一息つけます(といっても、1月末には論文審査会があるのですが)

さて、そろそろ今後の進路の事を真剣に考える時期が来ました(周りに比べて圧倒的に出遅れていますが笑)。

実家が医療関係の仕事に携わっているので、そちらでお手伝いするという道もあるのですが、やはり最初はどこか全く別の業界、世界で経験を積みたいと思います。

その場所として、今勤め先として有力なのは某IT関連の企業です。
まさか、1年前は自分がITの分野で働くなんて夢にも思ってなかったわけで、人生とは不思議です。

このブログでも「08年12月第3週の本」にて紹介させていただきましたV.J.フランクルがその著書の中で、
「自分が人生に対して何を求めるかではなく、人生が自分に対して求めるものに全力を尽くしなさい」
といった趣旨の事を書いておられましたが、まさしくその通りだなと思います。

当然僕も、○○歳までにこれをしたい、あれをしたい、といった希望はたくさんあります。
でも、これはあくまでも、これまでの自分の経験や価値観を踏まえてのものであり、それが実際に僕にとって最良のものであるかどうかは、誰もわからない。

人生は常に、僕達の手を引いてくれてるのかも。
目隠しされてほんの数秒先もわからない僕は、その手を信じて最善を期待しながら、一歩一歩確実に自分の足で踏み出していく。
そんな器の大きさが僕には求められているのかな~、とか思います。
自分で書いておきながら、しょっちゅう座り込んだり抵抗したりする僕にとっては耳が痛い話であります(笑)。

今、このブログの内容ととても近い歌がある事を思い出しました。
それはRascal Flatts の "God Bless the Broken Road"という曲です。

かってにサビの部分だけ訳すとこんな感じ(訳の正確さにはあえて無視して、言葉の意味を重視)

~ 全ての敗れ去った夢は
  あなたがいるところへと導いてくれた
  私の心を傷つけていった人々は
  私の道を照らす北極星のように
  あなたの腕の中へと導くしるべとなった  
  私はこれだけははっきりと言える
  神が、私をあなたの元へまっすぐ導く傷つけらた道を
  祝福されたのだと~

  
ちょっと変な訳かもしれませんが、それは僕の力不足と思って笑って流してください(ペコリ)
検索していたら、Carrie Underwoodという女性シンガーがカバーされているバージョンも発見しましたので、それも下に加えました。






歌自体が素晴らしいので、どちらも感動しました。
あなたはどちらが好みでしたでしょうか?

ありがとうございます。

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初詣に行って思った

あけましておめでとうございます。

初詣は、今年も家族と近所の下鴨神社に参りました。
今年は、言った時間帯がいつもと違うためか、それとも不況だからか例年よりも参拝客が多かったように思います。

さて、僕は今年何をお願いしたかですが、実は何もしてません。
というのも、気軽に
「あれしてください、これしてください」
と一方的にお願いするのは神様に対して失礼じゃないかな、と思うからです。

という事で、僕は基本的に神社に行った時は
「今ここに生きてる、てすごいなあ。ありがたいなあ。」
と感謝する時間に当てています(普段忘れがちなので・・・)。

お仏壇に手を合わせるときも、
「ご先祖様が綿々と命を繋いできてくださったから、今の自分がいるんだな。すごいなあ。ありがたいなあ。」
と感謝する時間ではありますが、特にお経を読むわけではありません(というか読めない)。

こうして書いてみると、神社でも仏壇でも僕は一体何に対して手を合わせてるのか、自分でもよくわかりません(笑)

ただ、このような気持ちで手を合わせる習慣があると、どんな時でも謙虚でいられる気がします。

以上、初詣に行った時に感じた事でした。

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    アルケミスタ

    Author:アルケミスタ
    これまでのご縁で、医療・会計・統計はある程度勉強しています(現在も勉強中)。
    現在は統計分析も仕事でしています。
    趣味はヨガと読書(ジャンル問わず)。
    ここで書く内容は、日々思ったことを整理して書いています。
    もし、ここを通して僕が面白いと感じたことを共感して興味を持って頂けたら本当に幸せです。
    ありがとうございます。

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