2017-06

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失敗につて

失敗を祝福しなさい。例え1000回失敗したとしても、もう一度挑むのだ。

私は人生でたくさんの過ちを犯した。しかし、よく聞きなさい、これらの過ち無しでは今の私は無かったのだ。それゆえに、自分の犯した過ちに満足している。

私の言葉を誤解しないで欲しい、過ちを犯せと言っているのではない。自分の犯した過ちによって意気消沈するなと言っているのだ。

失敗を気にするな。失敗は必然であり、人生を彩るものだ。失敗の無い人生など考えられないだろう? 苦闘の無い人生など生きるに値しない。 そんな人生の何処に詩があるのだ?苦闘や過ちを気にするな。

嘘をつく牛など聞いた事が無い。しかし、牛は牛に過ぎず、人では無い。だから失敗を気にするな。

失敗や過ちこそが私たちの教師である。過ちを犯す者にのみ真実への道は開かれる。


スワミ・ヴィヴェーカーナンダという方の言葉らしいです。
ヨガの先生がツイッターで書いていたので知りました。

僕はローターアクトクラブというロータリークラブの支援の下で活動する青少年プログラムみたいなのに所属していて、ボランティア活動を含めて動いています。
以前、東京にいたときに、東京のロータリークラブの方が

「とにかく、正しいと思ったことなら僕たちを説得して行動してください。
君たちは若いんだから失敗して当たり前。
だから極端な話、ローターアクトクラブを失敗する機会にしてもらってかまわない。
僕たちが大きく軌道から逸れないようにサポートするから、とにかく若い力で僕たちを驚かすような立派で積極的な活動をしようとがんばってください。
ただし、もし失敗したときでもそこから必ず教訓を得て、自分の将来に役立ててください。
そのためのローターアクトだと思う。」

と言っていただいて、とても感動したことを思い出しました。

できるかできないかも、まずやってみなければ分からないし、失敗をすれば次は同じ失敗をしないようにすればいいだけ、先に進める。簡単なこと。
そう考えれば、もう少し毎日踏み込んだ生き方ができるかもしれません。

そんなことを昨日、ヴィヴェーカナンダさんの言葉を知って考えました。
今日も最後までおつきあいありがとうございました。

テーマ:モノの見方、考え方。 - ジャンル:心と身体

一貫した生き方

岩波新書の「ソクラテスの弁明・クリトン」を読みました。

これは、ソクラテスが知識人等に議論をふっかけ続けた結果、不当な形で訴えられた時の裁判時の答弁と、死刑前日に脱獄を勧めたクリトンとのやりとりをまとめたものです。
書いたのはプラトンです。

ソクラテスは、哲学が研究されだした時の初期重要人物ではあるけれど、「無知の知」(知恵者と評判の人物に比べて自分は、自身の知識が完全ではない事に気がついている、言い換えれば無知である事を知っている点において、知恵者と自認する相手より僅かに優れている)ということを言ったのが主な功績で、自身による著書もなく一大哲学大系を構築した人物ではなかったと聞いたことがあります。

確かにそうかもしれませんが、たとえ訴えられようが自身の正しさ・良心(ダイモン)を確信して堂々と裁判の場で弁舌をふるい続けたこと、死刑を宣告されたときも
「しかしもう去るべき時が来た---- 私は死ぬために、諸君は生きながらえるために。もっとも我らのうちのいづれがいっそう良き運命に出逢うか、それは神より他に誰も知るものはいない。」
と去っていったことは、読んでいてとても印象的でした。

クリトンから脱獄を勧められた時も、自分が国法を犯すわけにはいかない、ここで国法を犯すことは自分が良心に従い続けた裁判での行いの価値を損なう行為であるとして、平然と毒杯を飲み干して亡くなったそうです。

「単に生きるのではなく、善く生きる」意志を貫き、亡命するという不正をおこなうよりも、死を恐れずに殉ずる道を選んだ。
ソクラテスが、現代までもその名を歴史に刻んでいるのは、多くの人が彼の生き方に惹かれるから、という理由もあるのではないかなと個人的には思います。

なかなか自分の良心を命を懸けてまで貫くことはできません。妥協しなければならないときも仕事をしていたりするとありますし、対人関係を円滑にするためにも折れることもあるかと思います。
だからこそ、ソクラテスの生き方に見られる「激しさ?」は読者の気持ちを揺さぶるのかもしれません。

そんな読後感想を持ちました。

全然関係無いのですが、最近たむらぱんという歌手を大注目しています。
メロディーが独特ですごくいいですし、歌詞も素晴らしいです。 
歌のタイトルの付け方もちょっと不思議ですね。






また、お時間があるときにでも。。。
それでは、今日もありがとうございました。

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説得を目的として書かれた本

カエサルのガリア戦記を読みました。
カエサルとはローマ帝国の基礎を築いた方で、「賽は投げられた」という言葉も有名ですよね。
文筆家としてもとても有名で、モンテーニュも「最も明晰な,最も雄弁な,最も真摯な歴史家」としているほどです(僕はモンテーニュを名前ぐらいしか知らないのですが笑)。

塩野七生さんの小説が好きで、塩野さんが最もいい男と言っておられたので興味はありましたので、この機会に読んでみました。

このガリア戦記は、カエサルが軍を率いてガリア(今のフランス辺り)に遠征に行った時の記録です。
ラテン散文の傑作と言われているのですが、日本語訳では100%その良さを感じれなかったかもしれません(もちろん日本語でも十分素晴らしいんですが)。
かといって、このためにラテン語勉強するのはちょっときついかな。

ガリア戦記の文章は元老院(今でいう議会のような感じ?)への戦況報告のような形で書かれているので、カエサルの感情が文章の前面に出てくるのではなく、淡々と出来事やそれへの対応、ガリア等の文化分析が書かれている印象でした。

読んでいくと、軍団の編成などで役職を越えた越権行為をしているんですが、それまでさらっと書かれていたりします。
カエサルにとってガリア遠征は飛躍の大きなきっかけになりましたが、カエサルの反対勢力ももちろんいましたし、その正当性も含めて政府を説得するためにもあえて私情を余り交えない文章になったのかなと思います。

淡々と書かれていますが、アレシアの戦いという、ガリアの軍が立てこもる街を包囲するローマ軍がさらにガリアの大部隊に包囲された状態での戦い(内からも外からも攻められるということです)といった過酷な戦闘までさらっと書かれており、それが逆に行間から自分で状況を想像させるような感じで、読み手に対して文面以上に説得力が持たされているような感じがしました。

「人間ならば誰にでも、現実のすべてが見えるわけではない。 多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない。」
という言葉を残すカエサルですので、いかに自分以外の利害を異にしている人々に、自分が利を得るような現実を見せられるかということを本気で考えて書かれた書物なんじゃないかなと思います。
このように、徹底してリアリスティックに、リスクを取った行動をしていけたカエサルはやっぱり天才だったんだろうな。

カエサルの映画があるみたいで、アレシアの戦いの映像がありました。
観てもごちゃごちゃしてて何が起こっているのかよくわかりませんでしたが、お時間があれば雰囲気を知る程度でご覧下さい(笑)



浅学な僕の勝手なカエサル分析なので、変なことを書いているかもしれませんがご容赦ください。
今日も最後まで読んで下さりありがとうございました。

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ラーマヤナを読みました

こんにちは。
まだまだ寒い日が続きますね。

レグルス文庫で出ている「ラーマヤナを読みました。
ラーマヤナというのはインドの古典物語です。

ストーリーはシンプルでラーマという有徳の王子が、王位継承直前に謀略で妻のシータ、3人いる弟の内の1人であるラクシマナと一緒に森に14年間追放されるというところから物語が展開します。
その後、妻シータが悪魔ラーバナに誘拐されてしまい、彼女の捜索および救出の過程で猿王ハヌマーン等に率いられた猿軍を味方にしつつ、悪魔軍と戦い、最後はかつて追放された王国にシータやラクシマナ達と共に凱旋するというのが大まかな流れです。

猿など動物の軍を率いる辺りが桃太郎と似ているなと少し思いました。
ラーマヤナは相当古い時代から伝わってきたもののようなので、桃太郎の話にも少し影響を与えたかもしれません。
本書のあとがきによると、平安時代にこの話を紹介した本があるそうです。

予想以上に、ラーマの軍と悪魔の軍との戦いが活き活きと描かれておりとても楽しめました。
また、物語を通してラーマというキャラクターに本当に魅力を感じました。

ラーマは王位継承直前に、突然身内の悪意により追放されるのですが、本来なら怒り動転してしまうところを泰然と受け入れ、これまで支えてくれた家族や家臣、国民に挨拶をし、裏切った人にまで危害が加わらないようにとの配慮までして、堂々と森に向かいます。
この辺りは、「六然」という格言を思いながら読みました。
自らに処すること超然 人に処するに藹然
有事斬然       無事澄然
得意澹然       失意泰然


加えてラーマは、どのようなときにでも信仰と自分の勇気で悪魔や困難にひるむことなく立ち向かっていく本当に強い人間として描かれています。
本書の最後に
武力や勇気に優れている英雄ではなく、その上に人間としての立派さが輝くとき「聖雄」とインドではされ、人を賞賛するときに
「あの方はラーマのようだ」
と今でも言うそうです。

また、ラーマヤナは悪魔などの敵も本当に魅力的に描かれています。特に、親玉のバーラタがラーマに敗北し死ぬ直前にこんな事を言っています。
「ラーマ、私はもう今では、あなたを許しています。それより、私の罪を許してください。 
この世を去るにのぞんで、一言申したいことがあります。ごく当たり前の事ではありますが、本当のことです。
もしあなたがいい行いをしようと思いついたら、すぐさまお始めなさい。また、もし悪い行いをしそうになったら、なんとか延ばして、すぐ始めるようなことがあってはなりません。
~中略(私が反面教師ですといったことを述べてます)~私心のない行いは直ちになさるがよい。私心があるようでしたら、私心が無くなるまでしてはいけません。」


かつて、このように正義の主人公に教えを述べた悪役がいたでしょうか(笑)
でも、こんなノリは大好きです。

ついでですが、ラーマがバーラタのいる島を攻めるときに動物たちと作った橋というのが物語中あるのですが、衛星でまさにその橋が確認できるそうです。
あくまで伝説ですが、昔の人は物語を作る際にこの地形からも着想を得ていたのかもしれませんね。

61020762.jpg
情報元↓
http://karapaia.livedoor.biz/archives/51723609.html

それから、僕が小さい頃まだウルトラマンを観ていた時に「ウルトラ6兄弟VS怪獣軍団」というのがあって、勇者ハヌマーンというキャラクターが登場していて、子ども心ながらインパクト大だったんですが、元ネタはラーマヤナなんですね。



これからも時々読み返してみたい本になりました。

それでは、今日もお越し頂きありがとうございました。

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自助論を読みました

S. スマイルズの「自助論」を読みました。

この本は明治4年に「西国立志編」として日本で販売され、当時で総計100万部を売り上げたそうです。

「個人の人格や国民性の優劣が人生や一国の将来を決定的に左右することは、火を見るより明らかな真理なのである。」 (知的生き方文庫の自助論p262より引用)

まだ幕末の動乱が色濃く残る時代の若者も同じ書物を読んで心を熱くしたのかな。

もし明日、世界が終わるとしても、学び続けられるか?懸命な 努力を継続できるか?
この問いに
「もちろん」
と答えて、実際にこなせる人間こそが大きくて価値ある事を成し遂げられるのだ。
そんな気持ちを芽生えさせてくれました。

読みやすいし、本屋でも手に入りやすい本ですし、ご興味があればぜひ手にとってみてください。

それでは、皆さんが益々幸せでありますように。
ありがとうございます。



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    Author:アルケミスタ
    これまでのご縁で、医療・会計・統計はある程度勉強しています(現在も勉強中)。
    現在は統計分析も仕事でしています。
    趣味はヨガと読書(ジャンル問わず)。
    ここで書く内容は、日々思ったことを整理して書いています。
    もし、ここを通して僕が面白いと感じたことを共感して興味を持って頂けたら本当に幸せです。
    ありがとうございます。

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